マインドフルネスとピーナツ
- 中村 加津世
- 2020年10月2日
- 読了時間: 2分
私がマインドフルネスを知ったのは6年くらい前。
当時の私は、イベントの仕事に追われ、身も心もいっぱいいっぱい。
仕事と生活に追われる気がしていて落ち着かない。
「もっと効率を上げたい!そのためにはどうしたら…。」
「集中力だ!集中力には坐禅。いや、マインドフルネスという逆輸入のものがいま流行っているらしい。」
「こちとら永平寺のおひざ元だぞ!
というよくわからないまま坐禅とマインドフルネスを親戚だと勘違いした私は、おはぎ好きが初めて見る噂のドーナツに手を出すように、ちょっと上から目線でマインドフルネス入門という本を手にした。
日本の禅の入門の本を読んだ時、最初に思ったのは、具体的なやり方は少しで、心のあり方というかスタンスを丁寧に語るんだなぁと感じました。
「まずは、坐って、あとは、あなたのタイミングで手放してください。」
それに対するマインドフルネスは、まず効果を語り、やり方を具体的にに説明してくれる。私が読んだ本には、手のひら載せたピーナツをじっと眺めてから転がす。そしてまた眺める。見る角度や意識が誘導されるように指示されます。1時間ほど集中し、ただただピーナツを観察。
もうピーナツだか何だか分からなくなったころに、ゆっくりと食べる。それも集中しながら。
刺激が多い現代、刺激のパイプを1本にするために他のパイプを意図的に切る。いまどんな刺激が自分に与えられているかを意識しながら一つに集中する。そのためのピーナツ。ピーナツの事以外考えない。
私の頭はこんがらがってしまいました。
「もう辞めたいな。でもやめられないな〜。このピーナツがなくなればな〜」
という思いが複雑に行き交い、ようやく食べていいと言われ、丁寧に食したピーナツ。
その瞬間
『マインドフルネス = ピーナツ』
インパクトのあるイメージは、時にその状況の全てを支配する。
それ以来、私のマインドフルネスはいつもピーナツの味がするようになってしまったのです。手放すはずがピーナツのイメージを脳裏に焼き付けてしまったのです。修業とはいつも遠い道のり。
それでも、私自身の内面と対話をし、急ぐ気持ちを冷静にしてくれるマインドフルネスは、私の人生の味方のように思います。
「直ぐに完璧にならなくても、少しずつやっていきたいな〜。これ好きだなぁ」と感じたのを覚えています。
今朝、秋晴れの朝の静けさの中で、ピーナツを持たずに10分だけ坐ってみた。少しだけ落ち着いたような気がします。
成功かどうかもいいけど好きかどうかで決めてもいいのかな。柿の種でもいいかななどと思う今日の朝でした。
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